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若松孝二『11・25自決の日 三島由紀夫と若者たち』

若松孝二監督の今回のテーマは、「三島由紀夫」。
山岳ベース事件・あさま山荘事件を、連合赤軍側の視点から描いた『実録・連合赤軍 あさま山荘への道程』(2008)から、いわゆる「左寄り」であるかのような印象を持ってしまっていたが、今作を観て恥ずかしくなった。
と同時に、75歳という年齢で左も右も関係なくポンポンポンポン飛び越えていく不良ぶりには、痛快すら感じた。

作品で描かれている三島由紀夫像は、僕から見て滑稽にも見えた。
日本を憂い、日本刀を信望し、軍によるクーデターこそが真の日本を取り戻す術だと本気で信じきっている三島。
その三島に心酔し、どこまでも付いていくという森田。
結成された民兵組織「楯の会」。

観ていくうちに、滑稽にも見えた三島由紀夫はじめとする楯の会と、内部から自壊していった連合赤軍が非常に似て見えてきた。
若くて真っ直ぐな熱情を持った者たちが、組織という独特の空気の中で、互いの本気を確かめ合いながら、あるいは試し合いながら後に引けなくなっていく。
右と左という意味で対照的のように見える二つの組織だが、切迫した危機感と日本を何とかしなければならないという強迫観念は共通している。
そして、全てが終わった後に残されたものも……。

虚しい。

これ以上ない絶望感。
命を賭した者の叫びは、その内容が何であれ、誰にも届かないのか。
結局は何も変わらない。
誰も気付かない。
忘れ去られる。

三島の切腹シーンは相当にリアルでグロテスクだった。
その場に立ち合った小賀は、小川は、古賀は、森田も、三島ですらも、想像できていただろうか。
計画を立てている段階で、一週間前、三日前、前日の夜、当日の朝、演説中、演説が終わった後、切腹の直前まで……。
健康で鍛えられた肉体を刃が抉る瞬間を。
その時の苦悶に満ちた声を。
肉や内蔵に喰い込むミチ、ヌチャ、という音を。
介錯する瞬間の悲しみを。
介錯する者の苦悩・辛さを。
もう、その先生から教えを乞うことができなくなることを。
今の今まで生あった者が亡き者になるとはどういうことかを。
後には戻れぬ恐ろしさを。

連合赤軍も楯の会も、共通していることは「若い」「異常なほどに真っ直ぐで真面目である」「危機感を持っている」そして「組織の空気」だ。
時代は20年、30年、40年と下っている。
日本は、いや、世界は、哀しいほど変わっていない。
我々は学ばな過ぎである。
これだけ右が、左が、命を賭して闘ったものを置き去りにしている。
右も左もいつまでも二項対立に陥っていないで、建設的に考えなければならない。
どうすれば「違いが受け入れられる社会」になるのかを。

jiketsunohi
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.18 2012 右翼・左翼 comment0 trackback0

和歌山東海岸旅行記 ~1日目・異文化~

 グローバリズムが横行する中、日本全国どこに行ったって大して変わらないだろうという考えは、少なからずあった。その思いが良い意味で最初に裏切られたのは木曽川だった。
 海とも川とも言えぬその広さ、思わず頭に浮かんだのが未だ見ぬ黄河。岸から岸まで余すところなく薄濁った水が張り詰められている。およそ静岡には存在しないその川としての在り方は、遠い日に学び舎で聞いただけの異国風情を連想させた。
 北アメリカプレートに属する東海から、フィリピン海プレート上に移ったからだろうか。その後に続く特急ワイドビュー南紀からの風景は、どこか微妙に違っていた。ごろごろとした大きな岩の間をなめらかに滑るエメラルドグリーンの川、車窓から見えるごつごつとした磯、すぐ右側には山が延々と続く。そのどれもが、見慣れた東海の風景とは微妙に違う。
 和歌山の東側は、海岸と山地に挟まれた、非常に狭い平地に細長く続く町の連続だった。

 徐々に雨が降ってきた。14時過ぎ、紀伊天満駅に着く頃には本降りになっていた。駅は無人で、電車は1時間に1本、時間帯によっては3時間に1本しか来ない。近くにコンビニはおろか、店らしい店も無い。線路を山側から海側に渡る踏切も見つからない。雨は強くなったり弱くなったりだ。野球の試合が終わったばかりの小学生たちが、元気に濡れながら自転車を漕いでいく。駄菓子屋のおばあさんと道路をはさんで会話していたおじいさんに道を聞いて、ようやくホテルに辿り着いた。
 チェックイン時に、試しに傘の販売はないか尋ねたところ、案の定無かった。全身が濡れていて、早く部屋に行って小休止したかったが、受付の男性はとても丁寧にホテルの説明をし始めた。話半分に聞いていると、「テレビは地デジがつきませんで……」と聞こえた。そんなことがあるのだろうか。もちろんテレビ目的で来ているわけではないが、想像以上の田舎の中でコンビニもテレビも無いというのは正直心細く思った。ただ、NHKとBSはつくということだ。――そんなこともあるのだろうか。内心ほっとしながら思った。重いスーツケースを引き摺り部屋へ向かう僕の背中に、腰の低い丁寧なホテルマンの声が降りかかる。
「すみません。エレベーターが無いので、階段でお上がり下さい」

 部屋は狭くなく、清潔で好感が持てた。ユニットバスがあるが、系列店の温泉を無料で使えるシステムになっている(ただ、徒歩だと15分掛かる)。テレビもBSをバッチリ楽しむことができる。Jリーグの試合をやっていて、少しテンションが上がった。濡れた服を脱ぎ、サッカーを観ながら少し休んでいると、備え付けの電話が鳴った。取ると、先刻のホテルマンからで、傘を買ってきたので出掛けるときに渡すとのことだった。そんなことあるのか? ホテルマンが一客のために遣いに行くなんてことが。
「百均で買ってきたので、購入でも貸し出しでもどちらでも良いですよ」
 礼を言い、お言葉に甘えて借りることにした。和歌山の人々の親切に触れた最初の出来事だった。
 それにしても、この近くに百均なんてあるのだろうか。

 ますます強くなる雨足の中、1日目は電車で3駅の太地町に行くことにした。
 ホテルのフロントで借りた傘を差して、紀伊天満駅に向かう。電車の時刻は調べ済みだ。無人駅に一番乗りで着くと、後から二人組が来た。――母娘? いや、母にしてはあまりに小さく若い。やはり中学生と小学生の姉妹か。いや、待てよ、耳に見えるのはピアスのようだ。するとやはり母娘か、それとも高校生か大学生? いや、それにしても……。
 電車に乗るとたくさんの中学生が乗っていた。本数が少ないから知っている同士が多いのだろう。みんな関西弁できゃあきゃあ言っている。田舎らしい風景だと思う。ところが、彼らの身なりを見ると、みんな小綺麗で垢抜けた格好をしている。どこで買うのだろう……。
 初めて来た和歌山という地は、微妙に何かがずれている。車窓から見た風景だけではない。文化が違う。不思議なことが多い。ともすれば見過ごしてしまいそうだけれど、関西風に言えば、突っ込み所が多い。太地駅に着いたら、たくさんの中学生たちが一斉に電車の最前部に集まり、僕をどんどん抜かして降りていった。列も作らずに。これも関西の文化なのだろう。
 「日本全国どこに行ったって大して変わらない」部分もあろう。しかし、世界は、本当はもっと豊かだ。電車や車でほんの数時間行けば、そこには自分の日常とはまた違う日常が広がっている。「日常」だから、本来は不思議ではない。でも、その「日常」は自分が住んでいる世界とはまた別の世界だ。だから微妙にずれて見える。だからこそ世界は豊かなのだ。
 やはり無人の太地駅を降りたら、すぐバスが待っていた。運転手のおじさんが「どこ行く?」と声を掛けてくれた。「くじら博物館」と答えたら「150円」と教えてくれた。電車の中できゃあきゃあ言っていた小綺麗な格好の中学生たちとともに乗り込んだ。

 くじら博物館の前で降り、帰りのバスの時間を見ると、最終が16時44分。何と、くじら博物館の閉館時間よりも早い。雨にも増して、風も強まってきた。レンタカーを借りる決心をした。
 結局くじら博物館には入らず、目の前の食堂でくじら定食を食べて、この日は帰った。帰りのバスの運転手も、行きと同じ人だった。

 あとは、紀伊勝浦から新宮まで、必死にレンタカーを探して、この日は終わった。
 このとき、紀伊勝浦駅から新宮駅まで電車に乗ったとき、昼間目の前に座った女子高生2人がまた乗ってきた。太地のバス運転手も2回会った。このときは、1時間に1本しかない唯一の電車・バスだから、こういうこともあるのだろうとしか思わなかったが、こういうことがこの後の3日間で何度も起こることとなる。
.17 2012 旅行 comment0 trackback0

結婚詐欺・連続不審死事件、死刑判決

 木嶋佳苗被告に死刑判決が出た。

 うちは地デジ化していないので、一番最初に知ったのはTBS News iだった。
 驚いたのは、「自白や目撃者といった、直接的な証拠がない」のにも関わらず、いとも簡単に死刑判決が出たことだ。
 そして、TBS News iは、「自白や目撃者といった、直接的な証拠がない」の後に「のに」ではなく「ため」と続け、「裁判員らは難しい判断を迫られました」と締めた。
 ここには、「疑わしきは被告人の利益に」という推定無罪原則のかけらも無い。
 裁判所にも、報道側にも、その意識は全く無いのか。

 さらに、反吐が出そうなのが、検察側が用いたこの例え話だ。
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夜は星空で、朝起きたら一面、雪景色だったとします。その場合、雪が降っていたのを見てなくても分かります。夜のうちに雪が降ったのだと(検察側)
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 これを分かりやすく翻訳すると、こうなる。
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夜は生きていて、朝起きたら死体とあなたの名刺が落ちていました。その場合、殺した瞬間を誰も見てなくても分かります。あなたが殺したのだと(寿児郎)
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 おお、簡単だな、冤罪を作るのは。
 この例え話を作った検察官は至急脚本家にでも転職した方が良い。
 ご丁寧に比喩と倒置法まで使ってこんなに洒落た文を作れるのなら、さぞかし有望なフィクション作家になれるだろう。


 話はまだ終わらない。翌日の各紙社説である。

 東京新聞は、ほぼ全面的に裁判所の判決を肯定した。
 最後の方に不十分な捜査を指摘してはいるが、どの新聞社も言っている程度のことで、東京新聞ともあろうものが無批判に死刑判決を支持している。
 ショックとは、正にこのことである。

 毎日新聞もそう。
 引っ掛かるのは、「検察は、こうした間接的な証拠を積み重ね有罪立証を試みた」という言い方である。
 先に引用した素敵な例え話も検察による「試み」になるのだろうか。
 言っておくが、これは「試み」とは呼ばない。
 自身が決定的な証拠を掴めないことを認めるばかりでなく、それを曝け出して開き直り、逆手にとって相手を嵌めようとする、これ以上ない厚顔無恥な行いである。
 「達成感がある」と語ったオタクっぽい裁判員を労う言葉まである。

 どうしたんだ、東京新聞、毎日新聞。
 光市母子殺害事件の上告が棄却されたときだって、あなたたちだけは匿名報道を守り抜いたじゃないか。
 その面影は、どこへ行ったんだ。

 朝日新聞に至っては社説で取り上げてすらいない。
 (16日になっても取り上げない。最低と言わざるを得ない)

 意外にも読売新聞が例の例え話に対して批判めいたものを書いている。
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 検察が論告で、状況証拠の評価に関して用いた例え話も、違和感が残る。検察は「寝る前に星空が見えたが、夜が明けて一面雪化粧であれば、雪が降るのを見ていなくても、夜中に降ったことが分かる」と主張したのである。
 裁判員に分かりやすく説明しようとしたのだろうが、想像力で判断してもらいたい、と述べているかのようにも受け取れる。
 証拠だけに基づき判断する刑事裁判の鉄則に照らせば、不穏当な例えだったのではないか。
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 よし。ありがとう、読売新聞。少しだけ、スッとしたぞ。
 と思ったが、最後の締めは他紙と同じような裁判員への労いの言葉……。

 まあ、個人的に労う分には別に文句は無いんだけど、こう、どの紙もどの紙も判を押したように裁判員への労いを書くとは思わなかった。
 裁判員制度に対する批判も死刑制度に対する批判も、どの新聞社説からも見られなかったのは、誠に残念と言う他ない。

 ちなみに読売新聞は、コラムでもこの事件を取り上げている。
 社説と同じように、裁判員制度に対する批判は無いものの、検察の論告に対しては疑問を呈している。
 この「権力に対する批判精神」には一定の評価をしたいと思う。

 日経新聞も同じような論調だったが、先述のヲタ裁判員の言葉が少し前から引用されていた。
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裁判が進むにつれてだんだんつらくなった。だが、逆に期間が長く結束することができ、達成感がある。
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 「結束」……。「絆」という言葉とも重なる。
 「結束」も「絆」も強い力を発揮する。そこには善意しか働かない。
 だからこそ危険なのだ。善意にはブレーキがかからない。そしてそれが複数人になることで「結束」「絆」が生まれ、どうしようもないほどに強くなる。
 結果として、木嶋佳苗という一人の人間を「殺す」という結論が出た。
 それに対して臆面も無く「達成感」という言葉が出る人間に対しては、僕は非常にグロテスクなものを感じる。
 きっとこういう人は自分が誰かを殺す可能性など微塵も考えない正義感にあふれた人物なのだろう。
 立派なことだ。

 各紙社説担当の方々に言いたい。
 出来事をただ伝えるだけだったら、ジャーナリストの肩書を外してくれ。
 社説の欄を使ってまで出来事の報告と、せいぜい無難な意見を書くのであれば、メルヘンな例え話を盾に職務放棄したどこかの検察官と変わりない。
 批判にさらされること、圧力をかけられること、誰かを傷つけることを恐れずに、自分の意見を発信するような、カッコ良いジャーナリズムを、どうか見せてほしい。
.16 2012 死刑 comment0 trackback0

【あなたの意見】死刑制度バトン【聞かせてください】バトン

Q1 真面目にお願いします。あなたの正直な意見が聞きたいです。
A1 硬派な感じで良いですね。でも他の回答者、不真面目な人も多かったですよ。
 初めて「バトン」なるものにお答えします。よろしくお願い致します。

Q2 それでは最初に、貴方は死刑制度反対ですか?賛成ですか?
A2 反対です。

Q3 反対派にお聞きします。貴方の大切な方が無残な殺され方で殺されても死刑をとなえませんか?
A3 当事者になったら、その加害者には死刑を求めると思います。本村洋さんのように。

Q4 賛成派にお聞きします。なぜですか?
A4 (抑止力を挙げる人が多いですね。もしくは加害者を一人の人間としては見られない人も回答者の中には多かったです)

Q5 死刑制度が無くなると、犯罪が大幅に増加するという意見がありますがどうでしょうか
A5 抑止力の過大評価は、根拠に基づかない「印象」だと思います。まず、それを測ることなど厳密には不可能だと思う。
 ただ、欧米では「抑止力があるとは言えない」というデータがあるようです。

Q6 死刑制度とはどういった効果などを持つものだと思いますか?
A6 取り返しのつかない冤罪を生み出す効果。

Q7 海外では死刑制度を廃止にする国がありますが、どう思いますか?
A7 いわゆるネトウヨさん達が大好きな中国とか韓国とか北朝鮮は存置だから良いんじゃないですか(ごめんなさい、つい感情的になってしまいました)。
 ただ僕は、「先進国が廃止しているから日本も廃止するべきだ」と思っているわけではありません。

Q8 仮に死刑制度がなくなったとしたら我が国はどうなると思いますか?
A8 ほとんど変わらないと思う。良い意味でも悪い意味でも。
 少なくとも「日本オワタ\(^o^)/」という状況にはならないでしょう。
 もう既に日本終わってます氏ね(すみません、また感情的になってしまいました)。

Q9 以上で質問は終わりです。他の方にも回してくれたらと思います。
A9 存置論者でも良いから、ある程度きちんと勉強していて、少なくとも真剣に答えてくれる方が良いですね。
 やっぱり、人の命に関わることですから。

Q10 お答えいただき、ありがとうございました。
A10 こちらこそありがとうございました。
 同意見でも異論・反論でも良いですので、「建設的な」議論をして頂ける方、いたら嬉しいです。
.25 2012 死刑 comment2 trackback0

光市母子殺害事件・上告棄却

最高裁が被告人の上告を棄却して、死刑判決が確定した。
それとともに、各新聞社・テレビ局の、被告人の実名報道が始まった。

本村洋は、当時高校生だった僕にとってとても衝撃的だった。
23歳の若さで、感情の爆発を理路整然とした言葉に昇華させる能力を持つ本村は、ブラウン管を通して「社会正義」の象徴となっていった。
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「遺族だって回復しないといけないんです、被害から!人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには、死ぬほどの努力をしなくてはいけないんです!」(2000.3)
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人々は次々と本村に「共感」し、同時に犯人を憎むようになった。
僕も、その一人だった。

今回の最高裁の決定を受け、本村は惜しげもなく揺れる気持ちを吐露した。
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「20歳に満たない少年が人をあやめてしまったときに、もう一度社会でやり直すチャンスを与えてあげることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのか、とても悩みました」(2012.2.20)
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この発言にどれほど「計算」が含まれているのか知る由も無いが、おそらくこれは、多かれ少なかれ本音だと思う。
おそらく本村は「A:被害者遺族としての自分」と「B:もし被害者遺族にならなかったらという仮定の自分」を客観視できる人間なのではないか。
そして、あくまで「A:被害者遺族としての自分」として割り切って、13年間の裁判を乗り越えてきたのではないか。

記者会見は、非の打ちどころの無い、模範的な内容だった。
まずは過去の自分を「未熟」と称し、感情を露わにしたことに対する謝罪、マスコミ・裁判官・検察官・警察官さらには弁護団に対する謝辞、先に引用した「社会正義」に対する自らの逡巡、「社会正義」の前に「(死刑制度存置国である)日本の」という接頭辞を付けるところまで、ありとあらゆる立場の人を敵に回さない「完璧な」記者会見だった。

本村は世論を一気に味方に引き寄せる「力」を持ってしまっている。
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「今回の判決に、勝者…なんていないと思うんですね。犯罪が起こった時点でたぶん皆、敗者なんだと思います」(2012.2.20)
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本村の要望は、最初は「死んでくれ」ということだった。
しかし、年月が経った今、本村の要求は「死んでくれ」から「とにかく心から反省してくれ」に変質してきているように見える。
つまり、本村にとって、死刑は「手段」でしかなくなってきている。
ところが、そこで死刑存置を「目的」とする人々から利用されてしまう。
本村はそれに気付いているが、「A:被害者遺族としての自分」は死刑を求刑するより他ない。

本村は、「B:もし被害者遺族にならなかったらという仮定の自分」としては、もしかしたら死刑制度に反対なのかもしれないと思わせる発言をしている。
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「そしてどうしたら、死刑という厳しい刑罰を課さないで済むような社会を実現できるのか、ということを皆で考えていけるようになればな、というふうに思っております」(2012.2.20)
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もし、利用されることに戸惑っているのなら、もし、自分でも想定していなかったほど周りに「社会正義」として担ぎ上げられてしまったのなら、それは敵を作らない、非の打ちどころの無い、模範的なキャラクターの成し得る悲劇と言うしかない。

ずっと求刑してきた「死刑」が確定し、本村はこれからどんな心境になるのだろう。
ものすごく空疎な、心にぽっかりと穴が空いたような、虚しい気持ちに襲われるのではないか。
被告の死刑が執行されれば、その可能性はさらに高まると、僕は想像する。
.21 2012 死刑 comment0 trackback0
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