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光市母子殺害事件・上告棄却

最高裁が被告人の上告を棄却して、死刑判決が確定した。
それとともに、各新聞社・テレビ局の、被告人の実名報道が始まった。

本村洋は、当時高校生だった僕にとってとても衝撃的だった。
23歳の若さで、感情の爆発を理路整然とした言葉に昇華させる能力を持つ本村は、ブラウン管を通して「社会正義」の象徴となっていった。
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「遺族だって回復しないといけないんです、被害から!人を恨む、憎む、そういう気持ちを乗り越えて、また優しさを取り戻すためには、死ぬほどの努力をしなくてはいけないんです!」(2000.3)
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人々は次々と本村に「共感」し、同時に犯人を憎むようになった。
僕も、その一人だった。

今回の最高裁の決定を受け、本村は惜しげもなく揺れる気持ちを吐露した。
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「20歳に満たない少年が人をあやめてしまったときに、もう一度社会でやり直すチャンスを与えてあげることが社会正義なのか。命をもって罪の償いをさせることが社会正義なのか。どちらが正しいことなのか、とても悩みました」(2012.2.20)
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この発言にどれほど「計算」が含まれているのか知る由も無いが、おそらくこれは、多かれ少なかれ本音だと思う。
おそらく本村は「A:被害者遺族としての自分」と「B:もし被害者遺族にならなかったらという仮定の自分」を客観視できる人間なのではないか。
そして、あくまで「A:被害者遺族としての自分」として割り切って、13年間の裁判を乗り越えてきたのではないか。

記者会見は、非の打ちどころの無い、模範的な内容だった。
まずは過去の自分を「未熟」と称し、感情を露わにしたことに対する謝罪、マスコミ・裁判官・検察官・警察官さらには弁護団に対する謝辞、先に引用した「社会正義」に対する自らの逡巡、「社会正義」の前に「(死刑制度存置国である)日本の」という接頭辞を付けるところまで、ありとあらゆる立場の人を敵に回さない「完璧な」記者会見だった。

本村は世論を一気に味方に引き寄せる「力」を持ってしまっている。
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「今回の判決に、勝者…なんていないと思うんですね。犯罪が起こった時点でたぶん皆、敗者なんだと思います」(2012.2.20)
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本村の要望は、最初は「死んでくれ」ということだった。
しかし、年月が経った今、本村の要求は「死んでくれ」から「とにかく心から反省してくれ」に変質してきているように見える。
つまり、本村にとって、死刑は「手段」でしかなくなってきている。
ところが、そこで死刑存置を「目的」とする人々から利用されてしまう。
本村はそれに気付いているが、「A:被害者遺族としての自分」は死刑を求刑するより他ない。

本村は、「B:もし被害者遺族にならなかったらという仮定の自分」としては、もしかしたら死刑制度に反対なのかもしれないと思わせる発言をしている。
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「そしてどうしたら、死刑という厳しい刑罰を課さないで済むような社会を実現できるのか、ということを皆で考えていけるようになればな、というふうに思っております」(2012.2.20)
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もし、利用されることに戸惑っているのなら、もし、自分でも想定していなかったほど周りに「社会正義」として担ぎ上げられてしまったのなら、それは敵を作らない、非の打ちどころの無い、模範的なキャラクターの成し得る悲劇と言うしかない。

ずっと求刑してきた「死刑」が確定し、本村はこれからどんな心境になるのだろう。
ものすごく空疎な、心にぽっかりと穴が空いたような、虚しい気持ちに襲われるのではないか。
被告の死刑が執行されれば、その可能性はさらに高まると、僕は想像する。
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.21 2012 死刑 comment0 trackback0

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